気忙しさ

年始に、しかも元日に大きな地震災害が起きた。今も日々連日トップニュースとなっている。その翌日には日航機事故、さらに翌日には北九州市での大規模火災…

2024年の幕開けは、なんともやらせない事故が相次いだ。

その後、初勤務。こちらはひとまず穏やかであったが、売上向上、利益確保の切迫さは昨年末と同じであり、あれやこれやと考える日々である。こちらは気忙しさわ感じている。

 

プライベートでは、年始の春日大社参拝時にエンジントラブルで気が気でない運転を強いられ、点検に本日出向いた…結果的には様子見で終わり、明日以降に持ち越した。

 

その前段階では、買物と緊急時用とと、購入を決定したボルボV40の保険相談に行き、ミニの保険にケチをつけられ、気分の悪い思いをさせられた。全くもって保険の意味をわかっていない保険屋であった。

 

今日で7日が過ぎた。

20240107

かの時点での今年の見通しは暗雲のようにも感じるか

 

岸見先生の本📕を読んだ…年始早々。

前述の禍がそうさせたのかどうかの記憶は曖昧である。

とは言え、なにか先行きを案じるばかり、何かを指標にすがりたい。

そのように無意識に感じる年明けとなった。

難しい

人間関係っていうは難しいなとつくづく感じます。難しいと思うから難しか考えてしまうのだと思います…だからと言って、カンタンに考えてると、足元の穴に落ちてしまいます。

 

元々、私は人を信用出来ません。

それは多分、自身を信用してないと思うところから…とよく聞きますが、果たしてそうなんでしょうか。

 

人を信用出来ないな、と感じる時は信用していたのに、…否、こういう行動に出るだろう、もしくはこういう時にはこういう行為、言動、反応があるだろうと想像していた…期待していた、求めていた…にも関わらず、その様にならなかった…つまり計算が狂ったという事なのですね。

こうやって考えてみると、信用出来ないという事ではなく、私の独りよがりの期待だった

とも考えられるのです。

 

人は皆、個体ですものね。

誰かのために生を受けたわけじゃない。

自分のために生きる事が大事なんですよね。

 

とはいえ、人は1人では生きていけないと、歳をとるごとに、知見が増えてくるのです。

協力する事が、元来のヒトとしての生存するための本能だとも感じるのです。

 

協力するためには、和が大事だと思います。

これは感情から生み出される和です。

感情から生み出される和が無ければ、協力と言うことも出来ないと思うのです。

和が無ければ、それは砂の器の如く、ほんのひとときにしか成り立たないものかとも思うのです。

 

さて。

前置きは長くなりましたが、この和を以てと考えていても、不幸なことがあります。

大袈裟にいえばわかりやすいかもしれないので、敢えて言いますと、冤罪と言うべきでしょうか、意思疎通面の齟齬でしょうか。

表現の仕方の間違い、捉え違い、それによって和が成り立つ前に先入観と言うか、色眼鏡を装着されてしまう、してしまう…

なんで色眼鏡をつけたがるのでしょうかね?

…まぁ色眼鏡はそっちに置いておいて、

齟齬が生じたら…つまり、捉え違いをした側が態度を硬化します。それを見て相手が反応してしまいます。

ここで双方の誤解が生じる…日々、タイムカードを押すたびに、その一進一退を繰り返しつつも、だんだんとどちらかに傾く…良い方、悪い方、もしくは関心ない方へ。

 

そう言う事が毎日繰り返す暦日の積み重ねが、その人間関係を形成していくのでしょうね。

 

じゃあ、どうすれば良いのでしょうか。

本音を言えば、「あのね、なんか誤解してない?」もしくは「〜されてない?」と聞きたいところなんですが、聞いたら聞いたで、それもまたおかしい。

相手にとっては「別に関心無いよ、あなたに対して」だったら、そんな事聞くこと自体が妙に馴れ馴れしいし。

でも、双方で腹の探り合い、様子うかがい、を続けるのも疲れるし…疲れるのが嫌って言う別の理由で、その人と距離を置こうとして、また齟齬が生まれる…もしくは齟齬を作る結果につながる。

 

あーややこしい。

単に和を、持ちたいだけなんだけどな。

和を持ちたいと思わなければ、こちらからアクション起こさないのにな。

ソコわかってもらえたら…あ、また、期待してるし、依存してるかな。

 

…と、この様に考えると、

相手も自分のことでいっぱいだし、

敢えて、私と…否、相手にとってなんらかの魅力…色んな意味でその人に楽しみと安心を与える事ができる魅力…がある人で無いと、和を創りたいと思わないのでしょうね。

 

楽しみと安心…それを与える様にしようと思っていても、齟齬になる。表現力というテクニックよりも、それが、なんかこ…滲み出てないと齟齬になるんでしょうね。

それって詰まるところ、心底、その人のことを好意的に感じてるかどうかって事なんでしょうか…

あー難しいのでもう寝ますね。

 

人事評価

先月末、人事評価をしました。

私はこれからなのですが、各スタッフの評価をしました。

 

結論、評価というのは常日頃をしっかり見て記録をつけておくことが必要だなと。

還暦が見えてきて、ようやく気づきました。

 

言葉が悪いですけど、「できる人」「こまったさん」など、人を批評する。

でもお風呂に浸かっている時、寝る前の暗闇の中でふと思い出すのです。

こまったさんにも今日のアレはファインプレイだったと。

 

でも、こまったさんなので普段はそれが打ち消されてしまう。

うちのこまったさんは、手抜き、ごまかし、他責などがあり、その上仕事を覚えようとされない他者依存さんです。おまけにミスが多く、指摘すると先に記した他責と誤魔化しプラス感情的に言い訳(これは本人の注目のための挑発行為と考えています)・・・で凌ごうとされます。

 

日々、そのような荒業をなされる方ですから、どうしてもその部分が重みとなり、ファインプレイをされても、プラスの評価に値しない・・・と感じてしまうのです。

 

でも、そうでしょうか。

そのような方でも、結果的に事業所の業務は無事回っています。

その一端に あ、助かった と感じる一幕もあるのです。

 

一年全てを加減算で見ず、その所々を切り取って評価する。

そして、助けられたなと感じる部分のみ注視すると、文句もつけれないなとも感じるのです。

まぁ、とは言え、こまったさんなのですが(笑)

 

ただ、ファインプレイを想起することで、本人への無意識の態度・言動が変われば、本人も変わるかもしれません。期待は無用ですが。

人を排他的に切ることはできます。

ただ、これは自分の人生の新たな挑戦(あたえられた状況をどのように理解して乗り切るか)と考え、その方とどのように付き合うかを謎解きのように楽しめたらと考えるのです。

 

そのためには今日のこと。その中でのファインプレイはなかったかな。

しんどくならない程度に、思い起こして生きたいものです。

そうすれば自分自身の人との交流の幅も広がりを見せるのでは?とも感じます。

今更なのですが(笑)

 

 

保護者の気持ち

保護者の気持ちという点では理解はできないと感じています。

理解できないから理解しないという意味ではないということを先に念押ししておきます。

 

就労移行にいた時の話。

ある社内イベントがあり、事例紹介という立場を与えられました。

療育手帳B2の彼は自閉症スペクトラムと診断されており、独特の口調が印象的でした。

その彼がある中堅の部品メーカーに就職。安定した出席と堅実な仕事ぶりで採用企業からも評価されていました。

その上で、保護者、企業採用担当、支援者(私)が登壇し、訓練、企業実習、面接活動、採用後などを振り返りながら、対談する企画を上長から任せられました。

 

その打ち合わせとして、保護者に事業所にお越し頂き、就職〜定着した現在をお母様はどの様に感じ取られているか。私がうかがったところ、困った様な表情で笑みを浮かべながら、

「正直、今の彼が本当に楽しいのか、幸せなのか、私にもわからないんです。・・・彼は、語彙も少なく、表現も流暢とは言えません。自分の気持ちを言葉で表現できると言っても、限られた言葉で、それで気持ち全てを表しているかと言われると、親の私でもそうではない。と言い切れます。彼として、例えばB型(就労継続支援B型)で働くことの方が楽しかったかもしれない・・・そう考えると、果たしてそこに導いた自分は正しかったのかな?。と時折思うんです。」と答えられました。

私は愕然としました。

良い企業に・・・合理的配慮を真剣に考えていただき、給与も一般の方とそれほど遜色かわらない待遇にも関わらず・・・就職したのに。と正直感じました。

 

でも、この言葉はすごく大きかったです。

そうだ。これが、その人にとって最大の支援者。

肉親だからこその意見だと、感じ取るにそう時間はかかりませんでした。

 

就職、経済的自立・・・それだけが人生ではないのです。

その人の生き方は無限大。その人にとって、周囲の環境をある程度コントロールできる保護者だからこその創造できる答えだと気づかされました。

障害児だからこそ、様々なしんどいこともご経験され、その渦中では様々な思いを巡らされてきたでしょう。それは私には経験できません。

だからこそ、この事例のように保護者の回答に驚愕したのだと思います。

 

保護者に対して、今の私に何ができるのか。

少なくとも、同情めいた浅はかな賞賛ではなく、でも保護者に吾子の成長と可能性を実感できる姿をプレゼンテーションすること。

今はそこを見ていただけるように創意工夫し、専門職を装って保護者やその児にレールを敷かないよう、肝に命じていきたいものです。

 

 

 

 

児童発達支援での療育

今日、以前から気になっている職員の発言にため息が出ました。

家から出たらお話ができなくなる、その我が子の状態について改善を願い、通われている保護者に対してでした。

保護者は我が子の、この症状についてあれこれ情報を得ている様子です。

保護者の話を聞くだけでも探究心がうかがえます。

それにふさわしく、環境設定などについてもリクエストが必然的に多くなります。

 

私個人的にはいつも「親こそ最大最強の支援者」と感じており、

事あるごとに保護者に対して「また、教えてください」と心中から頭を下げます。

 

今回も環境設定については、私個人的な”集団に馴染めなかった人の事例”とともに、

母親と相談して療育をスタートしました。

 

本日もお越しになりながらも、振り返りとして、職員の対応や他児からの影響などのコメントを話されました。

そのコメントとリクエストの多さに、先の気になる職員がこの様に言い放ちました。

「あのお母さん、私たちに『いつもありがとうございます』的な事言うんですか」

 

保護者はここに何のために我が子を送迎されてるのでしょうか。

我が子のつまずきに、いち早く「普通らしさ」を求めてきているのではないでしょうか。

似た様な状況なら「リハビリテーション」的な期待感で来ているのではないでしょうか。

つまり求めるものは、改善や結果であると考えるのです。

 

そこに、職員への感謝はあるかもしれない。

でも、「いつもありがとう」より、この子を一日も早く「普通らしく」なってほしいと、切なる願いで来られているのであれば、先のリハの様に、好転しなければ、その兆しがなければ、「どうなっているのか」と疑問に感じ、保護者の不安がより一層高くなるのではないかと、私自身が不安に感じるのです。

 

この職員は普段から、工夫やアイデア、状況理解が乏しく、向上心が見受けられる行動も少なく感じます。

保護者に対しても、相談を聴くことはできても、最終的に保護者に結論を返してしまうため、保護者としてはご自身を方向付けるための意見を被ることができず。にいます。

 

毎度、保護者の話は聞くが、その回答につながる意見を

誰かに聞くこともせず、

調べることもせず、

埋没してしまっています。

可能な限り私が、翌回にお声がけをします。

 

そのためでしょうか、本日はその職員が相談対応した保護者が、その後私のところに来て、再び相談を持ちかけられました。

 

そもそも療育には、結果が必要であり、

それが全うできなかったにせよ、理論に基づいた手法や対応に沿いながら、保護者にとって「今、ベストを尽くしているんだ」と思ってもらうことが大事だと考えています。

藁をもすがる思いで来られたり、

子どものつまずきがある事で、ママ友から疎遠にされたり、

たいへんな葛藤の中、この門をくぐって来られているのです。

今日一日が、我が子のため、保護者のためにも、「今日できることのベストを刻めたんだ」と希望と期待に繋がる様な一日にするためには、前述の様な職員では、あまりにも申し訳なく感じるのです。

 

ここ近年、この様な向上心がなく、処遇・待遇面などを常に念頭にものを言う職員が増えたような気がします。

 

仕事を学ぶ姿勢がゼロであり、多忙になれば、変わらない体制や待遇に文句をつけます。

 

人材不足という面から法人も、携わるための姿勢や心意気などとやかくいう時代ではなくなりました。

それにしても、この業界に生きる人は、その原資がなければ、切なる願いに応えられる人にはなり得ないのではないか。

その様に感じる昨今です。

 

 

 

最近の福祉の職場

と言っても、今は児童福祉なんですけど。

いわゆる、放デイや児発です。一般的に多い部類ですね。

 

ここで管理職してるんですが、難しいです。

配置人員の兼ね合いもあるかもなんですが、業界の違いもあるのと、あと温度差も感じます。

うちでは、元幼稚園職員・元保育士・障害福祉経験者で構成されているのですが、

在籍してきた職域の風土の差なのでしょうか。

私が経験してきた障害福祉とは大いなる違いを感じるのです。

 

私は生活介護・就労継続支援・就労移行・放課後デイサービス・児童発達支援を経てきました。順番も概ね書いた順序です。

特に就労移行が最も長く居たこともあり、「結果ありき」はこの生業の責務とも感じています。

 

なので、なんとか現状を打破するために調べて試してみたいなことをやってきたわけなんですが、最近の職場では、その空気感がない。

特に放デイや、今の児童発達支援ではないです。

・・・こうやって書いていくと、今の職場の構成人員がたまたまそうなのかな(笑)とも思えてきました。

 

就労移行は「就職」「定着」という明確が目的がありますが、

児童発達支援などの「就学」については、様々な捉え方がありますし、

一般的にはですが、就学自体はできます。

 

ただ、その就学に向けて保護者の不安と療育に対しての期待。

これにどれだけ応えるか。ここに対して携わる職員の責務感が薄く感じます。

 

私がそのように感じるのは、ありがちなこのようなシーン。

「いーやん、できてる、できてる」

これは、児を肯定して、保護者に安心してもらうための言葉や態度と思っているようなのですが・・・

私的には職員の探求が足りないと感じています。

 

就学するまでに保護者のニーズはあるわけです。

全てにシャキシャキできることは望まないにしても、やはり多くの児童の中で順応して、目立つことなく過ごせることは、多くの障害児の親の願いではないでしょうか。

保護者は、いわゆる「普通」というところを希望されていることが多いのです。

 

それを踏まえて、探究心が足りないと思うのは、

曖昧な評価で それがあたかも就学時に難なく過ごせるかのように表現し、

これ以上に、児の伸ばせる点を見出そうとしないその姿勢にため息が出てしまいます。

結局のところ、自分たちの努力を棚上げしてるように見えるのです。

 

就学前、それを鵜呑みにした保護者はいかがでしょうか。

就学後、それに戸惑うのは児自身ではないでしょうか。

児はその行為や言動、態度で何も言われず笑顔に囲まれた。

なのに学校に行って暫くしたら、あれこれ言われるようになった。

なにがダメなのか、どうすれば良いのかわからなくなるのではないでしょうか。

 

以前、就労移行にいました。

就労移行の場合、就職できることはもちろんですが、

定着することが必須となります。

ならば、できた だけではなく、どのようにそこで周囲と円滑に過ごせるか。それをビジョンにしながら本人の観察と経過を見守り、就職へ後押しするタイミングを計ります。

そこまでする必要があるのは、その方の人生に直結するのがタイムリーに見えるからです。

 

児自身は、しんどいことがあっても、それが正しいことなのかどうなのか判断できず、言葉にもできず、日々を暮らしていくわけです。

だからこそ、支援するおとながその児にとって正しい自信を用意することが使命だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

福祉の職場

に、携わって10年以上経過した中高年・・・否、初老か。

障害福祉に関わらせていただきました。

 

なんでこの職種になったんだろうか。

自分で自分の価値を高めたかったのかな?と恥ずかしながら感じます。

 

いつの頃からか、社会の中で自分が役に立っている。そう思いたかった。ような気がします。

最近の表現なら、「アラサー」の時くらいからか。

でも実際に入職したのは40歳を過ぎてから。

 

入職する寸前の会社は、一応「大手」の子会社(笑)だったんです。

そして福祉の職場へ。

ジュラシックパークって感じでした。

 

感覚が違う。

古典的というか、なんか上手く表現できないですが、違和感が強かった。

職場を変えても、そこは似たような風土があった気がします。

 

それでも10年経過しました。

10年経過すると、その職場にも以前になかった矛盾も感じるようになってきました。

 

てな訳で、今後このような話を綴って行きます。