難しい
人間関係っていうは難しいなとつくづく感じます。難しいと思うから難しか考えてしまうのだと思います…だからと言って、カンタンに考えてると、足元の穴に落ちてしまいます。
元々、私は人を信用出来ません。
それは多分、自身を信用してないと思うところから…とよく聞きますが、果たしてそうなんでしょうか。
人を信用出来ないな、と感じる時は信用していたのに、…否、こういう行動に出るだろう、もしくはこういう時にはこういう行為、言動、反応があるだろうと想像していた…期待していた、求めていた…にも関わらず、その様にならなかった…つまり計算が狂ったという事なのですね。
こうやって考えてみると、信用出来ないという事ではなく、私の独りよがりの期待だった
とも考えられるのです。
人は皆、個体ですものね。
誰かのために生を受けたわけじゃない。
自分のために生きる事が大事なんですよね。
とはいえ、人は1人では生きていけないと、歳をとるごとに、知見が増えてくるのです。
協力する事が、元来のヒトとしての生存するための本能だとも感じるのです。
協力するためには、和が大事だと思います。
これは感情から生み出される和です。
感情から生み出される和が無ければ、協力と言うことも出来ないと思うのです。
和が無ければ、それは砂の器の如く、ほんのひとときにしか成り立たないものかとも思うのです。
さて。
前置きは長くなりましたが、この和を以てと考えていても、不幸なことがあります。
大袈裟にいえばわかりやすいかもしれないので、敢えて言いますと、冤罪と言うべきでしょうか、意思疎通面の齟齬でしょうか。
表現の仕方の間違い、捉え違い、それによって和が成り立つ前に先入観と言うか、色眼鏡を装着されてしまう、してしまう…
なんで色眼鏡をつけたがるのでしょうかね?
…まぁ色眼鏡はそっちに置いておいて、
齟齬が生じたら…つまり、捉え違いをした側が態度を硬化します。それを見て相手が反応してしまいます。
ここで双方の誤解が生じる…日々、タイムカードを押すたびに、その一進一退を繰り返しつつも、だんだんとどちらかに傾く…良い方、悪い方、もしくは関心ない方へ。
そう言う事が毎日繰り返す暦日の積み重ねが、その人間関係を形成していくのでしょうね。
じゃあ、どうすれば良いのでしょうか。
本音を言えば、「あのね、なんか誤解してない?」もしくは「〜されてない?」と聞きたいところなんですが、聞いたら聞いたで、それもまたおかしい。
相手にとっては「別に関心無いよ、あなたに対して」だったら、そんな事聞くこと自体が妙に馴れ馴れしいし。
でも、双方で腹の探り合い、様子うかがい、を続けるのも疲れるし…疲れるのが嫌って言う別の理由で、その人と距離を置こうとして、また齟齬が生まれる…もしくは齟齬を作る結果につながる。
あーややこしい。
単に和を、持ちたいだけなんだけどな。
和を持ちたいと思わなければ、こちらからアクション起こさないのにな。
ソコわかってもらえたら…あ、また、期待してるし、依存してるかな。
…と、この様に考えると、
相手も自分のことでいっぱいだし、
敢えて、私と…否、相手にとってなんらかの魅力…色んな意味でその人に楽しみと安心を与える事ができる魅力…がある人で無いと、和を創りたいと思わないのでしょうね。
楽しみと安心…それを与える様にしようと思っていても、齟齬になる。表現力というテクニックよりも、それが、なんかこ…滲み出てないと齟齬になるんでしょうね。
それって詰まるところ、心底、その人のことを好意的に感じてるかどうかって事なんでしょうか…
あー難しいのでもう寝ますね。