児童発達支援での療育

今日、以前から気になっている職員の発言にため息が出ました。

家から出たらお話ができなくなる、その我が子の状態について改善を願い、通われている保護者に対してでした。

保護者は我が子の、この症状についてあれこれ情報を得ている様子です。

保護者の話を聞くだけでも探究心がうかがえます。

それにふさわしく、環境設定などについてもリクエストが必然的に多くなります。

 

私個人的にはいつも「親こそ最大最強の支援者」と感じており、

事あるごとに保護者に対して「また、教えてください」と心中から頭を下げます。

 

今回も環境設定については、私個人的な”集団に馴染めなかった人の事例”とともに、

母親と相談して療育をスタートしました。

 

本日もお越しになりながらも、振り返りとして、職員の対応や他児からの影響などのコメントを話されました。

そのコメントとリクエストの多さに、先の気になる職員がこの様に言い放ちました。

「あのお母さん、私たちに『いつもありがとうございます』的な事言うんですか」

 

保護者はここに何のために我が子を送迎されてるのでしょうか。

我が子のつまずきに、いち早く「普通らしさ」を求めてきているのではないでしょうか。

似た様な状況なら「リハビリテーション」的な期待感で来ているのではないでしょうか。

つまり求めるものは、改善や結果であると考えるのです。

 

そこに、職員への感謝はあるかもしれない。

でも、「いつもありがとう」より、この子を一日も早く「普通らしく」なってほしいと、切なる願いで来られているのであれば、先のリハの様に、好転しなければ、その兆しがなければ、「どうなっているのか」と疑問に感じ、保護者の不安がより一層高くなるのではないかと、私自身が不安に感じるのです。

 

この職員は普段から、工夫やアイデア、状況理解が乏しく、向上心が見受けられる行動も少なく感じます。

保護者に対しても、相談を聴くことはできても、最終的に保護者に結論を返してしまうため、保護者としてはご自身を方向付けるための意見を被ることができず。にいます。

 

毎度、保護者の話は聞くが、その回答につながる意見を

誰かに聞くこともせず、

調べることもせず、

埋没してしまっています。

可能な限り私が、翌回にお声がけをします。

 

そのためでしょうか、本日はその職員が相談対応した保護者が、その後私のところに来て、再び相談を持ちかけられました。

 

そもそも療育には、結果が必要であり、

それが全うできなかったにせよ、理論に基づいた手法や対応に沿いながら、保護者にとって「今、ベストを尽くしているんだ」と思ってもらうことが大事だと考えています。

藁をもすがる思いで来られたり、

子どものつまずきがある事で、ママ友から疎遠にされたり、

たいへんな葛藤の中、この門をくぐって来られているのです。

今日一日が、我が子のため、保護者のためにも、「今日できることのベストを刻めたんだ」と希望と期待に繋がる様な一日にするためには、前述の様な職員では、あまりにも申し訳なく感じるのです。

 

ここ近年、この様な向上心がなく、処遇・待遇面などを常に念頭にものを言う職員が増えたような気がします。

 

仕事を学ぶ姿勢がゼロであり、多忙になれば、変わらない体制や待遇に文句をつけます。

 

人材不足という面から法人も、携わるための姿勢や心意気などとやかくいう時代ではなくなりました。

それにしても、この業界に生きる人は、その原資がなければ、切なる願いに応えられる人にはなり得ないのではないか。

その様に感じる昨今です。